日本米という国宝

お米づくりが国を築く

お米づくりはアジアで始まり、日本へは今から約2000〜3000年前、九州に伝わったと言われています。日本の高温多湿な気候にお米づくりは適し、安定して収穫でき、長く保存できることから、その後一気に近畿から東海、関東、東北へ広まりました。
お米づくりは多くの労力を必要とするため、人々は一定の場所に住み着き、集団をつくるようになります。役割を分担し、管理をするための組織が生まれ、それが発展して村ができました。やがてお米づくりの技術が発達するようになると、お米をたくさん所有する村とそうでない村が生まれ、小さな村は大きな村へ統合され、力を持った集団が生まれます。こうして国としての形が整い、4世紀中頃に最初の統一政権である大和朝廷が誕生しました。

技術の発達と品種改良

統一政権誕生後は、お米づくりは国が計画的に行うようになります。用水路や堤防がつくられ、農具が開発され、お米の生産量がどんどん増えていきました。そうなると田んぼをたくさん所有してお米を蓄えている人が権力を握り、社会的に力を持つ人と持たない人の格差が開きます。豊かになるため、お米づくりに向かない寒い地方にまで田んぼを広げようと争いが繰り広げられ、これが結果的に寒さに強いお米などの品種改良につながりました。

お米が経済の基礎となる

645年に大化の改新と呼ばれる政治改革が行われると、世の中が大きく変わります。天皇を中心とした国家づくりが進められ、法律を定めて田んぼを国有化し、国民ひとりごとに一定面積の田んぼを与え、収穫したお米の約3%を税として納めることが義務づけられました。この頃からお米が経済の中心になります。
1590年に天下統一を果たした武将・豊臣秀吉は、税を正確に取り立てるため、田んぼの面積や生産量などを調べる「太閤検地」を行い、その土地の課税の基準となるお米の収穫量を決めました。徳川将軍家や国を治めた17世紀以降も、お米を増やすことが財政を豊かにするという考えは変わらず、お米の重要度は増すばかりでした。その一方で、土地を治める領主は徴収したお米を市場に売って必需品を手に入れたことから、お米の卸売をする米問屋が発達し、お米の流通や輸送を行う豊かな商人が誕生しました。

お米は再び食べるものとなり、品種改良が進む

長く続いてきたお米中心の経済を変えたのは、日本が近代国家へと歩み始めた1873年に行われた租税制度の改革です。この改革で、税はお米ではなくお金で納めるようになり、お米は本来の食べるものとなりました。
現在日本で食べられているお米の多くは、19世紀に開発された品種がルーツになっています。よりおいしく、高品質のお米を求めて、現在も気候や生産条件に合わせた品種改良が続けられ、さまざまな品種が誕生しています。代表的な品種をご紹介しましょう。
コシヒカリ
日本各地でつくられ、人気が高く、収穫量も飛び抜けて多い品種です。甘みと粘りが高く、冷めてもおいしいお米です。
ササニシキ
コシヒカリと並んでおいしいお米として人気です。粘りけが少なめで、あっさりとした味が特徴です。お寿司などによく使われます。
ひとめぼれ
コシヒカリから生まれた品種です。粘りが強く、ふっくら炊きあがります。食感は柔らかく、冷めてもおいしいお米です。
あきたこまち
秋田県の気候、風土に合わせてつくられたお米ですが、他の地域でもつくられています。もちもちとした食感が特徴で、水分が多く、つやのある香り高いお米です。
はえぬき
山形県で生まれたお米です。あきたこまちの子どもにあたります。粒の表面がしっかりし、もっちりとした歯ごたえがあります。