日本米、品質主義

水田開発、灌漑の技術の革新

よりよいお米をつくるため、日本ではたゆまぬ技術革新を続けてきました。お米づくりの歴史は、稲作技術の進化の歴史ともいえるでしょう。
稲作にはさまざまな技術が集約されていますが、なかでも重要なのは、水田開発や灌漑のための土木技術です。稲作には水の確保が欠かせず、5〜6世紀にかけて、日本各地でため池が作られ、国として形が整う頃には、大がかりな用水路も造られました。
16世紀の戦国時代になると、各地の戦国大名が水田開発に力を注ぎました。洪水が避けられない土地にも水田を作り、治水の技術を向上させて洪水から水田を守るよう取り組んだのです。土木技術が向上した18世紀には、山の斜面を切り開いた階段状の水田の開墾も行われました。「棚田」と呼ばれるこの美しい風景は、今も日本の山間部で見ることができます。

どんな土地でもおいしいお米をつくる

日本米の品質の高さを支える技術として、品種改良技術も重要です。土木技術が飛躍的に向上した18世紀頃、本格的な品種改良も行われ、より品質のよいお米を、より多く収穫できるように試行錯誤が続きました。そして19世紀には、日本列島の北、北海道で病気や寒さに強い品種が開発され、北の大地での稲作が始まりました。どんな土地でも、どんな時も、よいお米を作りたい。お米の本場は日本だという強い思い、そして、お米に徹底的にこだわる日本米の品質主義は、日本人の知恵と工夫が支えてきたのです。

道具の進化が品質主義を後押しした

日本米の品質主義には、道具の進化も貢献しています。約1700年前の地層から発掘された静岡県の登呂遺跡では、水田を耕すためのくわやすき、田下駄、田舟などの木製農具が出土しています。日本で水田稲作が盛んになった当時から、道具をうまく使って稲作をしていた日本人の様子がうかがえます。
5〜6世紀には、馬にひかせて田んぼを耕すなど、家畜を使った農作業や、鉄製のくわ、すきなどが使われるようになり、技術の進歩によってお米の生産量が上がりました。
17世紀になると、当時としては画期的な「千歯こき」が発明され、重労働だった脱穀がこの道具でできるようになり、大いに普及。20世紀に入ると、足踏み式ペダルでドラムを回転させる「足踏み脱穀機」が発明され、第二次世界大戦前まで使われました。
戦後の日本の高度成長と共に農業の機械化が進み、1960年代に入り多くの産業分野で日本の高度な技術力が発揮される頃、日本製の稲作専用コンバインが世界で初めて開発されました。稲を刈り取りながら脱穀する一連の作業をコンバイン1台でできるようになり、農機具の進化は一気に進みました。

未来を志向する、日本のお米づくり

21世紀に入り、日本米の品質主義は新たなベクトルに向けて進化を続けています。それは、品質の追求と同時に、地球環境保護への貢献を視野に入れた稲作への取り組みです。例えば、虫や雑草を食べても稲は食べないアイガモの性質を生かし、アイガモを田んぼに放つ「アイガモ農法」で農薬を減らす試みをしている農家があります。また、本来は稲刈りの後に田んぼから水を抜くところを、ガンやハクチョウ、ツルなどの渡り鳥が越冬できるよう、冬にも田んぼに水を張る取り組みも行われています。農地の管理をはじめ、さまざまな知恵を集め工夫をすることによって、自然と共生できる農業をめざす。これからの日本米の品質主義は、品質以上を求め、さらに進化を続けていくでしょう。